現象の奥へ

『ブレスレット 鏡の中の私 』──どういうつもりでこんな映画を作ったのか?(★)

『ブレスレット 鏡の中の私 』(ステファヌ・ドゥムースティエ監督、2019年、原題『LA FILLE AU BRACELET/THE GIRL WITH A BRACELET』)

 フランス語が聞きたくなって、この映画を選んだが、ほとんどが裁判シーンの低予算お手軽映画だった。確かに扱っている題材は「深刻」であるが、しかし結局なにが言いたいのかわからない映画だ。
 2年前、16歳の時に、同級生殺しで逮捕された少女が監察処分になり、足首に「電子足かせ」である「ブレスレット」を装着されたまま、裁判を受ける。その過程で、彼女の「性生活」が明かされる。16歳で、同級生男子へのフェラチオ、殺したのではないかとされる女子との「性交」、性器への接吻のクンニリングス。16歳にして、性行為はなんでもアリである。これらの場面を撮った動画を被害者がネットに流した恨みから殺したとされている。そういう「事実」が、両親が聞いているなかで明かされる。そして物的証拠の凶器である、ナイフの発見。少女の自宅で、弟が道具箱に隠していたことが発覚する。しかし、それは少女の「知り得ない」ことであった。ゆえに、少女は無罪となる。晴れて「電子足かせ」を外された少女が裁判所の廊下を歩いて行く姿が映し出され、そこで、少女は、首のペンダントを外し、足首に回してつける。ジ・エンド。
 いったい何が言いたかったんですかね? 監督は。フランスの高校生はこんなにませている? それを親は知らなかった。俳優は全員未知の顔で、ひとり、キアラ・マストロヤンニのみが「有名俳優」である。父親のマルチェロ・マストロヤンニに似ていたと思ったが、じっと見ると、母親のカトリーヌ・ドヌーブのようにも見えてくる。スタイルは母親似ではないのか、ほっそりとしていてスタイルがいい。洋服もシンプルであっさりのパンツとジャケット姿なので、参考になった──。てなてなことを考えるほど、少女の母親役のキアラの出演時間は長い。もちろん、わが娘のことで、ショックを受けたり、悩んだりしている。しかし、大部分、じっと考えるような無言の姿。娘のことをどれだけ考えているか、よくわからない。むしろ、父親の方が考えているように見えるが、娘のキャラがいまいち曖昧なので、父親役の俳優は、どう演じていいのか、困惑しているようにも見える。そして、その俳優は、色が浅黒く、アラブ系のようにも見える。少女の弁護士のばあさんはキレものだが、顔も声も、『塀の中』で一世を風靡した、安部穰治のようで、とくにその声の低さが度肝を抜いた──。つい余分なことを考えてしまう(笑)。つまりは、ミステリーものでは完全になく、いったい、なんなの?