現象の奥へ

【エッセイ】「高見順」

高見順

 

高見順賞という詩のビッグな賞が終了した。大阪市がやっていた三好達治賞も終わった。わりあい華やかだった、資生堂提供の、花椿賞もとうに終わっていて、秋は、毎年詩集発刊のラッシュとなるのだが、さて、今後どうでしょうかね?  もともと「詩」、「現代詩」は、マーケット(市場)とは関係なく存在していたが、たとえお飾りでも、文化的なありがたみさえもなくなってしまったということだろうか? ワタシ的には、ジャンルとしての詩の時代は終わったと思う。「どうぞご自由に」のシュミの世界になってしまった。まあ、自分も、そういうシュミは持っているんですが(笑)、あくまでシュミですね。

高見順という名前は、詩集の賞として知れわたってしまったが、ほんとうは、小説家である。高見の非嫡出子の、高見恭子なるタレントが活躍した時代もあった。彼女はテレビで、「わたしのお父さんの本を買ってくださ〜い」とあっけらかんと言っていた(笑)。長身のほっそりしたスタイルがウリだった。高見順もそんな体形だったのではないか。
以下、去年書いた、【日本の短編を読む】の文章を「もう一度」。

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高見順「或るリベラリスト」(『文藝春秋』昭和26年5月号)(四百字詰め換算、約90枚)

 蓮實重彥は『物語批判序説』で、物語=紋切り型を批判したが、それは物語のきれいな型に収まっているものを、小説とはしないという考え方だった。そして、文芸作品というものは、芭蕉俳諧(俳句は、正岡子規以降)も、時代背景抜きには味わうことはできないと説いたのは、小西甚一である。そのように、小説も、時代背景を無視して、勝手な「物語」をそこに見いだしても意味がない。
 本作も、昭和26年の時代と、きっかり切り結んでいるものであり、そこには、当時の知識人たちの、味気ないほどリアルな生活が、見落としがちな心理や状況をすくい取って、それなりのストーリーを展開していく。
 ここでは、人々は、職についているかどうかはあまり気にしていない。現在なら、介護の問題がどの家庭にも重い問題となってのしかかってきているが、ここでは、なんと、赤の他人を引き取って、介護しているのである。それがとくべつ、褒められることでも、また、その他人をよそへ渡すことにも、罪悪感を持って描かれている。
 いまでいう、知識人ゴロのような老人(といっても60代)をめぐって、作家や学者が、友情などに、ひびを入れられたりするが、その老知識人を見放せずにいる。その老知識人は、いまでいうなら、現代思想家の若者みたいにけろりとしていて、厚かましく、ひとが病気で寝ていても、平気で訪ねてきて、おしゃべりしていくような人間である。この頃の人間は生真面目で、そう簡単に図々しい人間さえ、身捨てるという選択肢は思いつかない。
 文体は、秀島という、視点人物を据えて語られるが、かなりリアルではあるものの、私小説というわけではない。それが証拠に、最後には、ロシア文学の「余計者」へと「昇華」させていく。文体はリアリズムで無理のない言葉運びながら、「技巧」をまったく目立たせないほど技巧的である。
 結局、おしゃべりなリベラリストの奥村老人を、みんなして養老院へ送っていくのだが、そこはもう二度と出られぬ牢獄のようにも感じられる。最終数行、

  「秀島の眼にこの老リベラリストが、今ほど悲惨に、だからまた今ほど立派に見えたことは嘗てなかった。悲惨であることによってその姿は光栄と権威に輝いていた。
 奥村氏はまだおしゃべりをやめない。秀島はそっと目頭に手を当てた。」