現象の奥へ

【詩】「ボードレールが地獄を去る日」

ボードレールが地獄を去る日」
 
T.S.エリオットは、ボードレールの散文は詩より重要だと言っている。ゲーテは健康を、ボードレールは病的なものを求めたが、どちらも古くさいとも言っている。
しかして、ボードレールは、地獄を去る。
しかしこの地獄、ダンテの地獄とは関係ない。ダンシン・オールナイト、ことばにすれば、嘘に染まる……の部分はすでに詩に書いた。何回書くんだ、このバカ! 
だって、あまりに言い得ているから。
日系女性監督のあの映画、ニコール・キッドマンがやさぐれ刑事に扮する映画で、とても印象的な場面があった。それは──
標的の情報を得るために、かつての相棒の居場所を突き止めて訪ねていく。その相棒は、母親に世話されながら、ベッドで寝たきりの障害者になっていて、しかも癌で余命三ヶ月と告示されている。
情報を教えるのと引き換えに……と、醜く太った男は言う。
「やってくれ」と、股間を指す。
ニコールは、「ファック!」といいながら、手でマスターベーションをしてやる。
「胸もはだけてくれ」
「ファック!」と言って、言うとおりにしてやる。
「唾を吐いてくれ」
「ファック!」とニコールは彼の股間に唾を吐く。
なんてえげつない男と思ったが、のちに、
その男こそ、おとり捜査でカップルに扮しているうち、
愛してしまった男だとわかる。
その時彼は、精悍なFBI捜査官だった──。
おとり捜査に入る前に、喫茶店でキスの練習をした。
麻薬関係のチンピラたちのアジトに潜入して、
いちゃついて見せるうち、ほんとうに愛してしまった。
子供までできて──。
そして、想定外のことが起き、男は障害と服役を得た。
その「要求」は、二人の愛のあかしだったのかもしれない。
「彼には大きな力があったが、それは苦む為だけの力だった。彼は苦まなくてはいられなくて、又苦みを超越することも出来なかったから、それで彼は苦みを自分の方に引き寄せた。併しどんな苦痛にも傷つくことがないその無限に受動的な力と感覚で、彼は自分の苦みを研究することが出来た。彼に課せられたこういう限界によって、彼はダンテと全然異っているし、又ダンテの地獄に出てくる人物にさえ少しも似ていない」(T.S.エリオット『ボオドレエル』)*
しかして、女やさぐれ刑事とボードレールは、ロサンゼルスの荒れた郊外の道をすれ違っていく。
互いにそれと気づかずに──。
 
***
 
*T.S.エリオット『ボオドレエル』(1930年)より、吉田健一訳、『エリオット全集第四巻』(昭和46年版、中央公論社