現象の奥へ

『新解釈・三國志 』──「中国」と呼べるのは1912年の「中華民国」から(★★★★★)

『新解釈・三國志 』(福田雄一監督、2020年)

(2020/12/11@東宝ソラリア館(福岡))

中国の歴史といっても、誰も知らない。というのは、1800年前は、実は、「中国」という名前さえなかった。いまでいう中国大陸に、さまざまな民族が
興亡し、戦っていただけだった。そんな「中国」の「歴史」のなかでも、好んでこの時代が言及されるのは、三世紀後半、晋の陳寿によって書かれた『三国志』65巻があるせいである。
 そして映画化された「三国志」のエピソードで思い出すのはで思い出すのは、2008年の、ジョン・ウー監督の『レッドクリフPart1』である。いわゆる、「赤壁の戦い」を、トニー・レオン金城武が、たっぷり魅力的に見せてくれた。諸葛孔明役の金城武は、今も記憶に残る。それを今回、ムロツヨシが演じ、あまりの落差に、唖然しながら笑い転げるしかなかった──。そう、映画の時代さえ、12年が経過し、おまけに、コロナ禍によって、歴史は、というか、歴史の見方は、ここで大きく変換しようとしている。そんな時代に、この「歴史劇」の選択は、興味深い。絶世の美女に、渡辺直美(笑)。この時代は、こういうタイプが美女だった、と、登場人物のイケメン英雄は言うが、事実かどうかはわからない。そして、登場人物たちは、彼女を、「時代考証的美女」と呼ぶ。こうしたときおり出てくる「メタ」の部分がこの映画の美点で、こういう細部が、紋切り型の歴史劇を批評しているようで胸がすく。すべて力が抜けていて、はじめから、まっとうな歴史モノなどやるものか、という構えも見える。西田敏之扮する歴史学者の解説がときどき織り込まれるが、あまり解説にもなっていないような、どうでもいいような役どころであるが、狂言回しとして、「実はこれはお芝居なんですよ」と何度も思い出させ、観客を物語に取り込まれないようにしている。題名が、『新三國志』ではなく、『新解釈三國志』というのも筋が通っている。つまり、資料だけは実物を使い、勝手に解釈してみました、てなスタンスである。通俗エンターテイメントに見せかけた、新しい「歴史劇」と見た。福山雅治が作曲、編曲、歌唱を担当している主題歌も、それでもカタルシスをちょっとサービスします的で、なかなかよい。