現象の奥へ

『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』──ヒットは日本人のアタマの劣化の証明(★)

(2020/12/2@天神東宝、ソラリアプラザ(福岡))

『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(外崎春雄監督、2020年)

「無限列車」とあったので、すぐに、『パラサイト』のポン・ジュノ監督の傑作、『スノウピアサー』(2013年)を思い浮かべた。しかし、本作は、どこが無限列車なのか? ただの列車に見えた(笑)。八両編成で、200人も乗っているようには見えなかった。一時が万事で、本作は、言葉だけが大げさで、でたらめなアニメ作品である。鬼に対する歴史的考察もなければ、それが平安時代あたりに出てきたという認識すらない。いつの時代かわからなくしてあるのも、時代考証を避けているとしか思えない。いちばんの瑕疵(かし、って読みます。あのー、この作品のファンの方々、わかりますか?「欠点」という意味です(笑))は、キャラが立ってないという一時につきる。名前だけは、勇ましく、声優の演技は大げさだが、どれも同じキャラのように見えた。そして、本作には、外国のサーガ(伝説的物語のことです)のような、物語が存在しない。すでに、物語は壊れてしまったかのようである。このようなひどい作品に酔いしれるなど、ほんま、日本人のアタマも劣化が激しい。台詞は、すべてといっていいほど、いまどき道徳の教科書(いま、そんな学科なんてあるのか?)にもないような、紋切り型ばかり。肝心の「絵」は、少女漫画ベースで、これにも個性なし。そして、俗フロイト的に、「無意識」の世界について語るが、ぬあに? それ? という感じ。『今昔物語』でも、一から勉強してほしいです、原作者、監督、ファンのみなさん。だいたい、全然恐くもなく、意外性もない映画なんて観る価値ない。
 ある熱狂的レビュアー曰く。「中身が悪いなら、これほどヒットするはずない」。中身とヒットはカンケイねーんだよ、ばーか。かつては、「だっこちゃん」なるアフリカ系の容姿のビニール人形が、空前のヒットしたこともあるんだよ。あれ?(爆)