現象の奥へ

【昔のレビューをもう一度】『孤独のススメ』──性別のない、ただの愛(★★★★★)

『孤独のススメ』(ディーデリク・エビンゲ監督、 2013年、原題『MATTERHORN』)
2016年5月12日 9時38分

 なにやら北欧映画風の清潔さ、簡潔さ。おもしろくもない日常を送る孤独な初老の男の前に、「過去と言葉を持たない」(と解説にあった)男が現れ、ひょんなことから同居生活を始める。ここはオランダの田舎町で、あるのは、教会、スーパー……。そのスーパーさえ、お役所のような外見をしている。バスを降りて、家へ帰る途中に、「羊さん」や山羊さんを飼っている家があるのは、いかにも、オランダの田舎町である。
 初老の男、フレッドは、何事にも几帳面な性格で、きちんと用意した夕食も、姿勢を正し、時計の針がきっちり六時を指したとき、お祈りを始め、そのあと食べ始める。そんな生活に、「なんとなく」、得体の知れない男を加えてしまったのは、やはり孤独に耐えられなかったからだろう。
 近所の男、教会の関係者か、首からカメラを提げて、写真が趣味なのだろう。実は、この男も、その得体の知れない男に関心を持っていて──(笑)。おそらく牧師でひとり暮らしをしている。彼は、愛する女性をフレッドに奪われた。しかも、その女性は事故死してしまったので、二重にフレッドを恨んでいる。
 フレッドは、天真爛漫な得体の知れない男と、男が「羊さん」のマネをするので、いっしょに芸をやって稼いだり、その金で、二人でマッターホーンへ旅行しようとする。資料請求のために入った旅行社の女性が、いかにもオランダ風な親切なブロンド女性である。こういう細部が、もったりと、北欧でも、スウェーデンフィンランドノルウェーデンマークアイスランドとは全然ちがう。どこか親しみがわく。というのも、日本はオランダと昔から親好があったのは、やはりどこか似通った情のようなものがあったのだろう。
 で、やはり、これは、それらの北欧が提供してきた映画のように、やもめ暮らしの中に飛び込んできた得体の知れない男は、得体の知れないまま、消えたりするのかなと思っていると、さにあらず、映画の茫漠としたどこか寂しい広い空間がとたんに狭くなっていく──。つまり、旅行社の感じのいい女性は、得体の知れない男の妻であり、彼女によって、その男の奇態が事故によるものだと明かされる。すぐにどこかへ消えてしまう癖があったが、やっと「居心地のいい場所」を見つけたのね。今後ともよろしく、などと言われてしまう。
 フレッドは得体の知れない男と正式に同居しようと、役所に手続きに行く。その時、男が持っていた身分証明書で、男の名前はテオと知れ、先ほどの妻の住所がわかった。テオは、おそらくフレッドを慰めるため、フレッドの妻の服を着て、「結婚する」などと口走り、教区の人々の顰蹙を買う。
 あるとき、フレッドは酒に酔い、ゲイバーのようなところへ行く。そこには、ゲイの人気歌手がいて、すぐに飛び出すのだが、実は、この歌手こそ、フレッドが追い出した、実の息子だとわかる。
 そうやって、そう多くはない登場人物のすべてが繋がっていく。空間は狭くなるが、なにか温かみを帯びてくる。フレッドは、ホモの息子を許せなかったが、彼は理解する。それは、自分がテオにホモセクシャルな愛を感じたからではない。本作は、愛についての映画であるが、その愛には、「性別はない」。ただ、愛なのである。それで、フレッドは、近所の牧師の心も察し、テオと三人で、その牧師の家で夕食を取る。バスルームを借り入ってみると、暗室になっていて、そこで、牧師の撮った写真でフレッドの妻の、若き日の最高の姿を見る。テオも真正面から撮られたものがあり、それにも撮影者の愛が写っていた──。今晩はこの家に泊めてもらいなさいとフレッドはテオに言う。
 すべての孤独は癒され──。フレッドはテオと「結婚」し、マッターホーンへ出かける──。だが、そこに性的なものはなにもない、ただ、愛があるのみ。