現象の奥へ

『この時代に想う テロへの眼差し』(2002年2月、NTT出版刊、木幡和枝訳)──「今はもう誰もソンタグなど思い出さない」

『この時代に想う テロへの眼差し』(2002年2月、NTT出版刊、木幡和枝訳)──「今はもう誰もソンタグなど思い出さない」

 

演劇科の卒論は、「オフオフブロードウェイを支える思想」というタイトルのパフォーマンス論だったが、スーザン・ソンタグにだいぶ影響されていた。本書は、9.11事件の二日後から二週間後までの短い文章(メディアに応じて書いた)が5分の1ほどで、第一部をなし、残りの第二部以後は、9.11以前の記事である。つまり「上げ底みやげ」の本である。9.11事件に関しては、ブッシュ政権をいかに嫌悪するかを書いている。しかし、西洋対東洋の対立という「安っぽい」見方にも反対している。作家は、モラリストになったらおしまいだとも書いている。彼女の立ち位置、考え方には、あいかわらず同意できるが、「20年後」に読み返すと、情報が不足しているか、解釈が間違っているような感じがする。9.11との比較を、たびたび「真珠湾」と比較している。日本軍がしたとされる「奇襲」を、アメリカの情報部をつかんでいた、もしくは、「そう仕向けた」という見方がある。

 とはいうものの、その後の「テロとの戦い」と、「二十年後の犠牲者たちを悼むきれいごと」には、私も首をかしげる。果たして、テロという具体性を欠く概念と、戦うとは、いかなることか。乗っ取られた旅客機による攻撃で、2900人もの人が亡くなったが、この二十年間のテロとの戦いで、イラクアフガニスタンとの一般市民は、何十万人と死んでいる。

 かつてイラク大量破壊兵器の存在を疑われ、アメリカ軍が侵入したが、結局、破壊兵器はなかった。それを当時の国防長官だった、コリン・パウエル氏は、「人生最大の恥」とどこかで供述していた。共和党なれど、誠実な人柄だと思う。

 

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