現象の奥へ

「村上春樹のせかい?」

村上春樹のせかい?」
 
 アメリカ映画を観ていると、アメリカ人がいかに、セックスにこだわっているかがわかる。なにかのトラウマ?と言っていいくらい、問題になってくる。表面だって出ていなくても、セックスの重要さが下地になっていることが当然のようにしてある。どうしてそうなったのかは、わからないが、アメリカのハードボイルドを読むと、これがまた、アメリカ人のセックス好きを反映している。イギリスのミステリーとは大違いなのである。こういった世界を、意識してかどうか、日本人の村上春樹が、そういった「テイスト」「趣味」を、団塊の世代がすきそうな、政治オセンチに取り入れている。
 最近、アメリカのアカデミー賞で高評価の、村上春樹原作『ドライブ・マイ・カー』も、「村上わーるど」を忠実に再現している。ゆえに、セックスがかなりの重きを占めていて、フェラチオやタンポンなど、下ネタオンパレードである。これが、かつてのエロ映画でやるのではなく、一見青春、あるいは、青春への慕情みたいな「純文学的」「雰囲気」(だけ)のなかに、「あたりまえ」のように展開される。これを、「すてき!」と思えるのは、青春時代にそういうことに興味がありながら、心ゆくまでできなかったオバサン、あるいは、もともとスキモノのエロ男たちだろう。Yahoo!映画レビューも、おおむね高評価ながら、「キモい」「見ていられない」といった、生理的に受け付けない評価も少なからず混じっている。
 それでも、自然な流れでそういう展開になっていくならいいが、自殺、突然死、犯罪、不幸なおいたち、などが、唐突でわざとらしく挿入されている。それを、ありもしなかった「青春」とか、ある物思いのように化粧されている。のである。こういったものが、アメリカ人を中心とした外国で受けている。
 谷崎潤一郎より佐藤春夫の方がエラいと思われていた時代もあり、大岡昇平の批判ではないが、松本清張井上靖は、歴史を勝手に変えた歴史小説を書いていたらしいが、ことほどさように、世間の評価など、文学的価値と、ほとんどカンケーないように思える「村上春樹のせかい」でした〜。Amazonレビューでは、村上の新作を早くレビューすると、順位がかなりあがるので、やってますけどね〜(爆)。