現象の奥へ

ユルゲン・ハーバーマス『事実性と妥当性』

ユルゲン・ハーバーマス『事実性と妥当性』(河上倫逸・耳野健二訳、未来社刊)

ハーバーマスの主著の第三期に位置する本書をなぜか亡霊の中から呼び戻し、このネット社会の混沌というより、さらにエントロピー化の進んだ世界で、どのように正しく思考すればいいのか。今は、誰も教えてくれない。この日本においてさえ、本居宣長のように、山桜を愛でながら、人間の生について思考しておればよいという牧歌的夢も、さらに遠い牧歌と化している。
 ホッブスマルクスアリストテレスヘーゲル、カント……みんな呼び出して、哲学的なものと、社会学的なものを両立させねばならない。分析などという手法がなんの役に立つのか。
 連日テレビでは、芸能人の行為に対する、恣意的でたらめな「法」を、おもちゃのように振り回している。「専門家」でさえ、でたらめをまくしたてているのを見る時、ふと、「法治国家」なる言葉が頭をよぎった。
 件のNATO北大西洋条約機構)についても、遠い用語であったものが、「事実性と妥当性」の現実となって、われわれの前に現れている。はたして、そのようなものであったか。「法治国家」であることは、民主主義が当たり前のように実現されていなければならない。しかし、世界において、それはますます後退していく。こんな世界を、ハーバーマスは想像しただろうか?