『ユーラシアニズム─ロシア新ナショナリズムの台頭』(チャールズ・クローバー著、越智道雄訳、2016年、NHK出版刊)
座右の書といってもいい書であるが、読んでも読んでもぬかるみにはまっていく。いま、まさに、この本のとおりに、というより、この本の「懸念」をはるかに超えて、世界は混沌としてきた。本書には、ロシア思想の根幹が詳述されているにもかかわらず、まさにそれは迷路の見取り図にも似て、527ページの最終行には、ボルヘスの迷宮に関する言葉で終わっている。
プーチンがなにを考えているか知らないが、ロシア=世界と考える人々の「時間」のなかには、ヤルタ体制、文化人類学者のヤーコブソンなども、突っ込まれている。読書は、そこから始まって、自分で思考することが大切であり、「オススメ〜」「泣いた〜」「すき〜」じゃ、なにもしていないの等しい。読書が、自分の頭を他人の書き物で埋めることになっては退化もいいところである。
六年前からプーチンについて考えているが、よー、わからんワ、このオッサンは(笑)。そして、ニューズウィーク日本版にプーチン特集があり、これも、おそらく(といって、実は傍らにあるのだが(笑))本書と同時期に出ている。
実は、本書のほかに、フレデリック・フォーサイス『オデッサ・ファイル』、ベルナール・アンリ・レヴィ『人間の顔をした野蛮』、藤村信『ヤルタ─戦後史の起点』(すべて数十年前の本であるが)にも目を通したが、なんだかな〜、である。なにか「違う思考」、「もっと本質的な読書」が求められているようである。
ここでは、レヴィの本の写真でも「飾り」に揚げておくか。
『ヒットマンズ・ワイフズ・ボディガード』(パトリック・ヒューズ監督、2020年、原題『HITMAN'S WIFE'S BODYGUARD』
前作の『ヒットマンズ・ボディガード』は観ていない。が、根本の思想といっては大げさだが、アイディアは同じものだろう。つまり、凄腕の殺し屋のボディガードって〜?(笑)という思想である。本来は、ボディガードなどいらない、ほど強い人間をガードするって? という考えで、今回は、ヒットマンのワイフをガードするのであるが、それが……当のヒットマンよりメチャクチャなんである。メチャクチャにつおい。それを、小柄のサルマ・ハエックが演じているが、似たようなキャラのスペイン出身のペネロペ・クルースより、メキシコ出身?のハエックの方が威勢がいいのである。お色気むんむん風にしようとしているが、存外色気がない(笑)。むしろ気っぷがいい感じ。
凄腕殺し屋サムエル・L・ジャクソンの新婚の妻で、二人はハネムーン中のいちゃいちゃ。でも、周囲は、007的状況になっていく。巻き込まれ型のボディガードに、これまた凄腕のプロのボディガードだが、ガードしていたクロサワ(笑)を任務終了眼前で殺されてトラウマになる。その「やまい」を抱えての仕事である。インターポルから頼まれた。
本作も、「不本意にも」、世界的危機を救うことになる殺し屋たちだが、もはや、政府お墨付きの殺し屋(007など)はお呼びでない。世界はそのような状況になっていて、逆に、政府筋が彼らに「依頼」するのである。
そんな今の時代にハマっているアクションものである。
★四つかな〜と思っていたが、最後のオチで爆笑し、★一個をおまけした。いや〜わろた〜。
【戦争犯罪の証拠】
NYタイムズ(新聞社ではあるが)は衛星画像を撮って、キーウに転がる遺体が一週間以上放置され、その変化をも記録している。それはNHKが流していた。一方「ねつ造説」を主張するロシアは、スローフィルムを流して、遺体の手などが動いていると主張している。なぜ、虐殺された遺体と言えるか? それは、遺体の状態が、後ろ手に縛られて顔を潰されているものも多々あったからだ。これらの記録は、人道に反する罪で、国際司法裁判所に告訴するさいの、証拠として提出するのも目的とされていると思う。NYタイムズも、動画撮影の手段を取っているように、紙のメディアは遅れをとる恐れがある。NHKは一時間おきに、ウクライナ関係のリアル画像を流している。ロシアの戦争犯罪について、なにも欧米の一方的な見方ではなく、そうしたリアル画像が、昔の戦争と違ったリアルな事実を証明している。
「ジェノサイド」
私が「ジェノサイド」ということばに深く印象づけられたのは、
ほかでもない、リドリー・スコットの『ブラック・フォーク・ダウン』という映画で、
東ソマリアの「内戦」に「干渉した」アメリカがよこしたデルタフォースの特殊部隊の将軍役の、サム・シェパードが、
当地の民兵に資金提供している「ビジネスマン」の黒人に、
「内戦だって?30万人もの人が殺されている。これは、ジェノサイドじゃないのかね」と言い放つ。
他の種族を認めない、人間と認めない、ゆえに、
一滴の哀れみもなく、ゴキブリのように殺す。
そして、プーチンの、
ロシア人以外の人種の狩り。
実行は、シリアあたりの傭兵に、好きにさせる。
届かないのではないか。いや、たぶん、届く。
ヒトラーまで届いたように。
「金枝篇」
それは文章を読まない、
ゆえに文学の歩みに汚されていない、
民たちの、物語。
まだ自然しかなく、伝説もない、
ギリシア悲劇でさえ近づけぬ森の。
祭司を殺してまた祭司になる、その祭司も殺されるまでは祭司である。
ターナーはそんな世界を描いている。
「私のThe Waste Landは、J.L.ウェストン女史の『祭祀からロマンスへ』に負っています」
とT.S.エリオットは言って、
「私の『祭祀からロマンスへ』は、J.G.フレイザーの『金枝篇』に負っています」とウェストン女史は言った。
はるか昔、まだアーサー王は存在せず、
休息と祭りと、妖精たちだけがいた。
ああ、夢のような空間、でも夢ではない。
にんげんは、ここちよさを知った。