現象の奥へ

【昔のレビューをもう一度】『キャロル 』──いま、女が心地よい(★★★★★)

『キャロル』(トッド・ヘインズ監督、2015年、原題『CAROL』)
2016年2月17日 21時52分

 50年代のアメリカの街や衣装、小道具、二人の女優の美しさにばかり目を奪われがちだが、この映画、演出が相当行き届いている。だいたい、男がろくでもないやつというか、俳優も「イケメン厳禁」(爆)で、周到に出していない。テレーズの、軽く知り合ったボーイフレンドで、結婚まで申し込まれる男子も、凡庸な風貌の印象しかない。それは、キャロル(ケイト・ブランシェット)のダンナにしても、またこのヒトか、の名前は知らないが、ちょい古い時代の映画によく顔を出す、いわゆる「レトロ顔」の俳優である。
 いったいどこに「ミステリータッチ」が出てくるのか思っていたら、それは、旅先で知り合った雑貨のセールスマンが盗聴の探偵だったというものだった。これによって、二人の肉体関係が盗撮され、それが、離婚話の進む夫との間で、決定的に不利となる。つまり子どもの養育に問題ありと判断される。
 キャロルかテレーズ(ルーニー・マーラ)かの、どちらかが死んで終わるのかなと思っていたら、存外、「愛を確かめあうように見つめ合う」で終わったので、胸を撫で下ろした(笑)。
 だいたい、異性愛だの同性愛だのは、人間が後天的に「分類」したことであって、もしかしたら、「愛」などというものも、幻想なのかもしれない。しかし、友情のようなものが成立したら、その先に待っているのは、愛のようなものだ。「ストレート」などと言って威張っているが、それは、まあ、「生殖のための」便宜でしょう。もしかしたら、自分に正直な、知性的な人間だけが、そのような「分類」からはみ出して、なにかを獲得としていく──。それが、キャロルにもテレーズにも感じられた。キャロルは、この時代から大きくはみ出した自我の持ち主で、それを受けとめるのがテレーズである。この作品、「キャスティング」だれそれというクレジットが妙に目立った。それほど、キャスティングが重要なのである。そして、それは成功した。
 だいたい女同士の方が、心地いいに決まっている。男はここまで神経が細やかでないから、恋愛といっても、型どおりにしかできない。いつも緊張を強いられる。
 テレーズは貧しい移民の女子で、キャロルは上流階級の空しさに辟易している。そんな二人が心を暖めあえば、それは自然に愛になっていく。
 ケイト・ブランシェットの唇がすばらしく演技していた。ルーニー・マーラは鼻から下はそれほど美しくない。だから、丸い目元へ、スポットライトを当てていた。今、女が心地よい、そんなことを映画で感じさせるなんて、すごい演出家だ。