現象の奥へ

『Fukushima 50 』──現場!(★★★★★)

『Fukushima 50 』( 若松節朗監督、2019年)

 たとえば、アジア太平洋戦争(というのが、良識的な名称であるようだ)についての映画があったとして、それが「なぜ起こった」という点に焦点があてられた映画だったら、「私はその戦争を経験しました。でも、私たち庶民の大変さは全然描かれてなくて」という声があがるとしたら、それは、やはり、なにかズレているとしか言いようがない。
 本作は、福島第一原子力発電所が、「想定外」の津波によって、いかに「未曾有」の危機に瀕し、そのとき、現場にいた人々の決断と、努力によって、それが回避されたかを描いている。わりあいに、事実は単純なもので、「想定外」の10メートルの津波によって、発電所が水没し、電気が働かなくなり、炉を冷やすことができず、メルトダウンの危機に陥って、数機は爆発したということだ。それを、吉田所長(渡辺謙)が、電力会社や政府に反してまでも自分の考えで判断し、また、彼の部下、ある部署の長である佐藤浩市(彼もまた現場で独自の判断を迫られるが)以下、そこに働く50人(題名はここから来ている。海外メディアがそう呼んだそうである)の人々が、いかにがんばったかが描かれている。この映画の主眼はそこにある。つまり「現場」というものを熟知している人々の活躍を描き讃えたものだ。
 それゆえ、それらの人々をとりまく、首相、役人、東電の幹部等には個人名では呼ばれない。ただ役職名で登場するだけだ。一方、現場の人々は主なキャストは家族の内情なども細かく描かれている。この中に出てくる、当時の総理大臣の菅直人氏は、出るには出るが、怒鳴ってばかりいる。しかし、とりもなおさず現場に飛ぶ。ここが氏の偉い判断だったのだが、この事故は、自民党の安倍一派の権力奪取に利用され、菅氏は、ウソメールまで流された。しかし氏は、「同じような手」では報復しない。そして瞞されたメディアも加担し、民主党はある種の人々に、「バカ政権」と呼ばれる(当レビューにも存在するが)。しかし、ハリウッドのエンターテインメントではないのだから、誰かがヒーローになって解決する問題ではない。それが現実というものだ。当の菅氏は、ブログで、「あの通りだった」と書いている。実はそれを読んだから、本作を見る気になった。そして現場の人間だけが、「想定外」に対処できるのだ。そういう意味でも、本来は主役であるはずの吉田所長の渡辺謙が脇へ回り、もろに現場を担当する部署の責任者である、佐藤浩市が主役となっている。
 余談であるが、10メートルの津波が40年なかったことを「想定」とするなら、どんな準備があれば、原発は安全なのか? 線量の多い危険な建屋へいって、弁を開いて減圧するという仕事を二人ひと組でするのだが、この場合、こんにちでは、AIに任せられるのだろうか? いずれにしろ、なんらかの理由で事故となった場合、原子力の人間生活への影響の大きさは、ウィルスの比ではないだろう。この現場の人々の活躍がなかったら、福島原発は大爆発を起こし、放射能は、東京へも飛び散っていた。
 地味な物語ながら、俳優陣はかなり豪華なものとなっている。それら演技派たちが、この実質的なハナシをドラマたらしめている。