現象の奥へ

『さすらいの二人』──ジャック・ニコルスンのけれんみのない演技

さすらいの二人』( ミケランジェロ・アントニオーニ監督、1974年、原題『IL REPORTER/PROFESSIONE: REPORTER』)

 ストーリーを知り、テレビ放映かで漠然と見た時から、二十年以上、私のテーマであった。自分以外の人間になりかわって、その人の生を生きてみたい──。私が、ではなく、そんな状況で出会う男女の生を描くことが。
 べつにあちらの人生がよりよいというわけではないが、人間にはそんな衝動があるのかもしれない。
 贅肉がまったくついていない三十代半ばのジャック・ニコルスンがそんな男を演じる。演技はまったく自然で、けれんみはひとつもない。モロッコの、風、砂、光、白壁のなかに、よくなじんで、男の感情もよく見えない。独特の目と眉の線が繊細で美しく、そのあたりに、思慮を漂わせる。
 一方、彼と出会い、行動をともにする若い女マリア・シュナイダーも、肉体感のない姿で、風のようにさまよう、というより、風に吹かれるままさまよう人間存在を体現する。
 そして、なりすました男の生は、とんでもなくきな臭いものであった。それに関わりながら、男は生を砂漠の中に見失っていく──。
 ミケランジェロ・アントニオーニは、砂漠の稜線を何度もきっちりと撮し込み、映画の空間を創出している。カメラの視線が窓枠を通過して戸外に出て行くシーンは、まるで魂の移動のようにも思える。

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