現象の奥へ

【同人誌『妃』22号、2020.09】

【同人誌『妃』22号、2020.09】

 装丁が美しい。「一番高貴な詩の雑誌」がコピーである。自分で言うか(笑)?と思ったが、同人誌の名前はおろそかにできない。私は、二十代前半、誘われて、『グッドバイ』なる同人誌に入ったが、ぬあんと、それらの同人のうち、一人はご本人が人生に「グッドバイ」し、二人は、彼等の奥さまや婚約者が、人生とパートナーに「グッドバイ」した。しかも、そのうちの中心メンバーというか、当時、私を「入りませんか?」のお便りをくださった詩人の方は、今は、私の存在を嫌って、過去のメンバーから私を「消して」いる。そういう「グッドバイ」から「排除されて」、「グッドバイ」とは縁のない生活を送っている…というわけである。したがって、『妃』も自分で高貴だと言っているうちに、しだいに高貴になってくるかもしれません。
 私は以前に、この『妃』に関して、「なんで今更同人誌?」というようなことを書きましたが、こういうコロナ時代になってみると、せめて、紙の上だけでも「蜜」になるのも精神的にはいいかもしれないと思うようになりました。
 詩は、よほど研究してみないと、正直なところどれがいいのかわからない。ほとんどその人の思い込みの世界なのである。自分と同じシュミの人には目がいくかもしれない。そして、みんな「少しでも何か言ってもらいたい。貶し言葉ではなしに」と思っていると思うので、今回、ひとつひとつにいいところを見つけ、言及したいと思います。

ヨメナの波しぶき──逗子海岸にて』有働薫、「若い山姥がさらさらと銀髪をほどき」(なんなんだろう?)
『刺繍のあるテーブル』葉山美玖、「針に籠めた情愛は情愛である」(よかったね、愛を見つけられて)
『48日後』瓜生ゆき、「自らを灯りとし、進もう。」(そうです)
『暮らし』広田修、「虚しさより深いところで手をつないでいる」(そうですか)
『初夏』渡辺めぐみ、「犬であるものの生き方が/立っている」(詩になっている)
『考える人二題』細田傳造、「おまえのちんちんどれくらい」(冒頭から引き込まれる)
『それからの難波田』谷合吉重、「さとごぜんはひそかに/なんばたによしつねをあないし」(昔の時間が近づく)
『バス停にて思うこと』鈴木ユリイカ、「しかし、もしかしたら、天使が乗っているかもしれないと思う」(すでにして物語)
『雨の花の咲く夜に』月読亭羽音、「花はその雨を茎にして」(生死のはざまの美しさ)
『神から野鼠になるまでの六ヶ月』小松谷かや、「うっかりの未来がまったいる」(その「うっかり」を受け入れて生きる)
『ステープルと音楽他五篇』田中庸介、「わたくしの実存のパスワードはみつからない、」(デジタル世界を生きるアナログ)
『獣』川瀬慈、「無数の最近の 微生物のうごめきを感じた」(言語化への意志)
『火明けの朝』尾関忍、「擬人法で動き出す無意識に」(日常と宇宙)
『それからどういうわけか……』阿賀猥、「貴女って井の頭公園あたりで、バラバラ死体で発見されるタイプよね」(三面記事の美学)

以上、詩作品のみ、ひとこと感想書いてみました。本誌ご恵送は、いつもの通り、細田傳造氏、「よけいなことを」と、お仲間に思われないことを祈ります(笑)。

 

 

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