現象の奥へ

【詩】「ユーチューバー芸人、ふわちゃんのおそるべき才能」

「ユーチューバー芸人、ふわちゃんの恐るべき才能」
 
NHKをかけ流していたら、ふわちゃんが出ていて、一人で脚本、演出、配役などを担当したコントを三作続けてやると言った。見ていると、ほんとうに三作やり、配役は、主にお笑い芸人から指名して選んだ。
脚本は、アドリブ厳禁で、演出家ふわちゃんの指示通りにやること。そして、あいま、メーキングが流された。ふわちゃんは、例のヘアピンいっぱいの髪型ではなく、キレる女ふうのボブに大型眼鏡で、長四角の机について、(おそらく)演出意図などを説明していた。出演者の人々へのインタビューでは、脚本を読んでも、全体がどんな作品なのか全然わからないと言っていた。しかし、脚本にあるとおりを、出演者は忠実に演じていた。
一作ずつ放映されると、それが面白いのなんのって。
真夜中に声をあげて笑った。
コントは音楽(おそらく、音楽性、リズム)がだいじ、とふわちゃん。
最後の作品は全編英語のコント。
これが不条理で、いちばん面白かった。
なんで英語なの?という司会者の問いかけに、
「世界に出て行くため。映画監督として世界へ出る!」
モントリオール映画祭に行けるかも!」とその前にも発言。
すごい!
構造が立体的なのである。
音やリズム、間の取り方で、
不条理な哄笑がわき起こる。
「こいつ、映画がわかってる!」と言ったのは、スピルバーグのデビュー作、『激突』を、あまり気の進まないまま観たあとの
淀川長治のことばが、
思い出される。
ふわちゃんは、
もしかして、映画で世界へ出るために、
「ヒカキン」のように、
周到な準備をして
ユーチューバー芸人となり、
やっと、NHKで、脚本、演出、制作(キャスティング)の、
三役の短いコント三作を
発表できた。
従来とはまったく逆の行き方である。
 
Dans le rire qui secoue à sa lecture toutes les familiarités de la pensée ébranlant toutes les surfaces ordonnées et tous les plans qui assagissent pour nous le foisonnement des êtres, faisant vaciller et inquiétant pour longtemps notre pratique millénaire du Même et de l'Autre.(Michel Foucault "Les mots et les choses")
 
「われわれのすべての思考になじみの理解をゆるがす笑いのなかに、整理されたすべての表層、われわれに知識を与える見取り図、存在の豊かさをぐらつかせる、揺り動かし、同一のものと違うものとのわれわれの実際的な千年を長期にわたって不安に陥れる、そんな笑いのなかに」(ミシェル・フーコー『言葉と物』(拙訳))