現象の奥へ

【オーデンの「新年の手紙」その一節を訳してみると……】

【オーデンの「新年の手紙」その一節を訳してみると……】

A New Year Greeting W.H.Auden

On this day tradition allots
    to taking stock of our lives,
my greetings to all of you, Yeasts,
  Bacteria, Viruses,
Aerobics and Anaerobics:
   A Very Happy New Year
to all for whom my ectoderm
  is as Middle-Earth to me.

 

「新年の手紙」(1969年1月)W.H.オーデン

 

この日伝統はわれわれ生命の
  在庫確認することにあてている、
きみたちみんなへのぼくのアイサツ、酵母菌くん、
 バクテリアくん、ウイルスくん、

好気性や嫌気性:
 謹賀新年

ぼくの外胚葉がぼくにとって地球の中心部としてある

すべての諸君に。

 

*****

上はオーデン「新年の手紙」の第一節、一方、田村隆一の「新年の手紙」は、

 

「新年の手紙(その一)」田村隆一

きみに
悪が想像できるなら善なる心の持主だ
悪には悪を想像する力がない
悪は巨大な「数」にすぎない

材木座光明寺の除夜の鐘をきいてから
海岸に出てみたまえ すばらしい干潮!
沖にむかってどこまでも歩いて行くのだ そして
ひたすら少数の者たちのために手紙を書くがいい

 

****

 

「新年の手紙(その二)」

元気ですか
毎年いつも君から「新年の手紙」をもらうので
こんどはぼくが出します
君の「新年の手紙」はW・H・オーデンの長詩の断片を
ガリ版刷にしたもので
いつも愉しい オーデンといえば
「一九三九年九月一日」という詩がぼくは大好きで
エピローグはこうですね  
 『夜のもとで、防禦もなく
 ぼくらの世界は昏睡して横たわっている。
 だが、光のアイロニックな点は
 至るところに散在して、
 「正しきものら」がそのメッセージをかわすところを
 照しだすのだ。
 彼らとおなじくエロスと灰から成っているぼく、
 おなじ否定と絶望に
 悩まされているこのぼくにできることなら、
 見せてあげたいものだ、
 ある肯定の炎を。』

 

****

 

なんだ、これ? ですよね。オーデンの詩は、即物的でリアルとのふれあいだけど、田村隆一は、まったくアタマでのみ書いて、しかも本心すら出していない。時代とおのれの切り結びが詩の本質なので、この詩は、なんだこれ?になるわけです。とくに時代が経ってしまえば。とくに「その一」はひどい。「その二」がましに見えるのは、オーデンの詩の誰かが訳した訳が大幅に引用されているからです。

田村隆一の詩は、以下のサイトで読めます。

http://web1.kcn.jp/tkia/trp/index.html

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