【オーデンの「新年の手紙」その一節を訳してみると……】
A New Year Greeting W.H.Auden
On this day tradition allots
to taking stock of our lives,
my greetings to all of you, Yeasts,
Bacteria, Viruses,
Aerobics and Anaerobics:
A Very Happy New Year
to all for whom my ectoderm
is as Middle-Earth to me.
「新年の手紙」(1969年1月)W.H.オーデン
この日伝統はわれわれ生命の
在庫確認することにあてている、
きみたちみんなへのぼくのアイサツ、酵母菌くん、
バクテリアくん、ウイルスくん、
好気性や嫌気性:
謹賀新年
ぼくの外胚葉がぼくにとって地球の中心部としてある
すべての諸君に。
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上はオーデン「新年の手紙」の第一節、一方、田村隆一の「新年の手紙」は、
「新年の手紙(その一)」田村隆一
きみに
悪が想像できるなら善なる心の持主だ
悪には悪を想像する力がない
悪は巨大な「数」にすぎない
材木座光明寺の除夜の鐘をきいてから
海岸に出てみたまえ すばらしい干潮!
沖にむかってどこまでも歩いて行くのだ そして
ひたすら少数の者たちのために手紙を書くがいい
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「新年の手紙(その二)」
元気ですか
毎年いつも君から「新年の手紙」をもらうので
こんどはぼくが出します
君の「新年の手紙」はW・H・オーデンの長詩の断片を
ガリ版刷にしたもので
いつも愉しい オーデンといえば
「一九三九年九月一日」という詩がぼくは大好きで
エピローグはこうですね
『夜のもとで、防禦もなく
ぼくらの世界は昏睡して横たわっている。
だが、光のアイロニックな点は
至るところに散在して、
「正しきものら」がそのメッセージをかわすところを
照しだすのだ。
彼らとおなじくエロスと灰から成っているぼく、
おなじ否定と絶望に
悩まされているこのぼくにできることなら、
見せてあげたいものだ、
ある肯定の炎を。』
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なんだ、これ? ですよね。オーデンの詩は、即物的でリアルとのふれあいだけど、田村隆一は、まったくアタマでのみ書いて、しかも本心すら出していない。時代とおのれの切り結びが詩の本質なので、この詩は、なんだこれ?になるわけです。とくに時代が経ってしまえば。とくに「その一」はひどい。「その二」がましに見えるのは、オーデンの詩の誰かが訳した訳が大幅に引用されているからです。
田村隆一の詩は、以下のサイトで読めます。
http://web1.kcn.jp/tkia/trp/index.html