現象の奥へ

【12月17日天声人語】(朝日新聞名古屋本社版)

【12月17日天声人語】(朝日新聞名古屋本社版)

どんなりっぱな書物、あるいは文章でも、それを読んで共感し、「まるで自分が考えたかのように」あるいは、「さらに高みに立って」、それは正しいと判断を下し。これを読め。などと主張しがちな読者がなんと多いことよ(ならまだいい方で、SNSでは、書物の写真「だけ」載せて威張っているヤカラもまま見かける(笑))。だが、それは、あんた自身が考えたことではない。それを意識しなければ、自分の頭で考えたことにならない。そういうことは意識してものを読んでいるつもりだ。そんな自明(なことを、わざわざ詩にしているヤカラも見かけるが(笑))なことを、あらためて思い出したのは、本日の天声人語を読んだからである。この記事の言っていることは正しい。この記事に文句があるわけではない。
「物事には常に、良い面と悪い面がある。ホロコーストは悪だが、ナチスはいいこともしたのではないか──。いまの世にくすぶる不穏な問いに真っ向から答えた書である。『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』という書物を引用し、筆者が私見を述べている。また同様の行為として、広島市長の戦前戦中の教育勅語の研修資料引用をあげている。「評価してもよい部分もあった」として今後も引用を続けるとある、とか。明治天皇が「臣民」に語った言葉を、「部分的に共感できる表現があったとしても、わざわざ勅語を引用する必要はあるまい。本質を無視するのは何か別の意図があってのことか」と指摘している。それはそのとおりである。しかしここには、自明のことをわざわざ詩にしたり、評価の定まった人物の書いたものを共感し、まるで自分で考えたかのように勘違いしてしまう人々の陥りやすい罠がある。それは、系統だった思考を進める上での分類である。ナチスという存在に対して、「よいこと」「わるいこと」などと考えるべきではない。ここには、思考経路の混乱が見られる。こういうふうに、ひとによって評価がちがう、「よいこと」「悪いこと」などという方向に思考を進めるのは間違っている。だいたい人間は、部分的には、同じようなことを言っている。ヘーゲルのなかには、そのへんのオジサンでもいいそうなことも含まれている(笑)。だからそのオジサンがヘーゲルのように頭がいいと思うのは短絡である。明治天皇教育勅語のなかの「いいこと」は、きっとアップルの創始者スティーブ・ジョブスも言っている(かも知れない、(笑))。公に言葉を発表するとき、なにから引用しているかを強く意識すべきである。本来引用とは、その書物に親しんでなければ出てこないものである(おおくの自称詩人の方々が、引用皆無で詩や文章を書いているのを時々目にするが、あれは、書物をまったく読んでない証左と思われる(笑))広島市長、「明治天皇教育勅語」は、まずい(笑)。天声人語は署名がないが、英米の新聞だと、あらゆる記事には書名がある。古くさい人間で「朝日は左だ」などと言い放つやつもいるが、ほんとうに左なのか私は知らない。今朝のNHK討論のように、わざわざ(かどうか知らないが)、閣僚据え替え後の自民党の林とかいうのを呼んで、わざわざ〔かどうかは知らないが)、ご意見を「うかがって」いた番組もある。この人物は、件の「事件」には「一応関与してないようで」、だから討論番組に出演していたのだろうが、そのゆっくりとして、ことさら「ていねい」で、声も静かな答え方が、なにかよほど用心深くしゃべっている、しかし、あいかわらず、なにも言ってない、従来の自民党員の態度を踏襲しているのに変わりはない。まるで中立な報道を装ってこういう番組が作られている。ことに比べれば、朝日新聞は弱々しいが、とりあえず、堂々と「右」でないなとは思わせられる。それほど期待して読んでいるわけではないが(笑)。