現象の奥へ

真船豊『太陽の子』

真船豊『太陽の子』(昭和11年2月)

戯曲よむ冬夜の食器浸けしまゝ 杉田久女

 この句を知ったのは、私が高校一年、演劇部の顧問の黒川喜七先生が教えてくれたのだった。先生は、「小説を読む」のではなく、戯曲というところがいいのだとおっしゃった。私が2年生になると先生は希望して他校に転勤された。1年間ではあったが、その後の私の文学の基礎となることの多くを教えていただいた。そして、先生がいないことにより、演劇部は私の天下となった。人生に黄金時代があるとすれば、私の黄金時代は、高校時代であった。戯曲ばかりを読んだり書いたりしていた──。
 吉田健一のエッセイ集『東西文学論 日本の現代文学』のなかに、「真船豊」という一項があり、そのなかで吉田は、小説から会話部分を抜き出して並べれば、戯曲になるわけではない。なによりも、そこには、リアルな現実があり、文字から役者の声が聞こえてこなければならないと書いている。当然、戯曲は脚本ではなく、お芝居の段取りが書かれたものでもない。はるかに遠い記憶(笑)のなかから、真船豊という名前が蘇ってくる。ひとつ読んでみる。
『太陽の子』。題からイメージするに、フランスの国王のようなものが思い浮かぶ。だが、実際は、そんな観念的なものではない。もしかしたら、現実にあったことかもしれない。北海道の山野の一角に、少年院送りの少年たちを集めて教育する男がいる。その男もかつて不良少年で、山野を牧場に作り上げるために働いていた。不良少年というのは、たいてい悲惨な経歴を持っている。その男、つまり院長であるが、その男が「気が触れた」行動をしているというので、その男の腹違いの姉が精神科医を連れてそこへやってくる。その男は姉の世話で結婚したばかりだった。その妻が自殺を図ったというのである。それから、男は妻なる女に侮辱されたと騒ぎだす。妻なる女は、不幸な生い立ちの女で、男の姉が開いている、今でもある、駆け込み寺のようなセンターに助けを求めてやってきていた。そういう女を幸せにしようと、自分の弟の嫁にする。そして三ヶ月後、嫁は自殺を図る。男にはわけがわからない。自殺は未遂に終わり、医者が注射を打って寝かせている。姉弟げんかが起こっているとき、医者は、ある事実を告げる。嫁は妊娠していると。そしてその妊娠はすでに五ヶ月であると。男は怒るどころか、喜び、嫁の自殺の意味を理解し、正気に戻る。それは、自分にとって太陽の子であると。そして、そこに入所している少年たちも、すべて太陽の子であると。言葉はきわめてリアルで、テーマはあざといところにすれすれで落ち込みそうだ。しかしそれは、作者の思想のようなものへと変化していく。真船というのはそういう書き方をする劇作家である。ほかの作品を紹介しながら吉田は、
「文学はどのような形による解決も示すものではない。解決ということも一つの材料に過ぎず、与えられた材料を使ってどこまで我々の共感を誘うことが出来るか、我々を動かすことが出来るかが文学の課題なのである」と言い、日本に劇作家が何十人いるか知らないが、真船豊は、劇作家と呼んで差し支えない極く少数の一人であると言っている。