現象の奥へ

福田和也著『ろくでなしの歌―知られざる巨匠作家たちの素顔』──よーこんな本買うわ(笑)(★)

『ろくでなしの歌―知られざる巨匠作家たちの素顔』(福田和也著、メディアファクトリー、2000年4月刊)

 いまごろ、私がこんな本を買うわけはない。友人が間違えて二冊買ってしまったといって、さっき送ってくれたので、「すぐやる人」の私はすぐ本レビューを書き始めるのであった──。目次をざっと見渡しなにか言いたくなった。本書は、20年前に出ている。帯にいわく「現役最強の文芸評論家」。さういえば記憶の片隅に、江藤淳(奥さんを殴っていたと、古谷野敦が書いていた、真実は知らないが)亡きあと襲名の右翼評論家である。

ドストエフスキー、川端、バルザックゲーテ菊池寛ディケンズ、虚子、チェホフ……文豪たちは、こんな「ろくでなし」だったんですよ〜ということを「あかした」本である。だから〜?

 まずもっての疑問は、「ろくでなし」というからには、どういう基準で「ろくでなし」なのか? そういう部分がなければ、文学表現などする必要もなく、そんなことをトリビア的に証したからと言って、本末転倒のアタマの悪さをさらけ出す以外のなにものでもなく、こんな本を今更読もうと買うなんて、私の友だちも大馬鹿ものである(笑)。チャンチャン〜♪

 ついでにいえば、歴史に残る画家などの裏話など、作品を鑑賞しないで、そんなところにばかり眼がいって、そのテについて書かれた本を漁ってエツにいってるひとをたまに眼にするが、「合掌」である(笑)。

 本書発行から二十年、はー、確かに、ご活躍が華々しいですね〜(爆)。ネットが庶民化され、もうトリビア知識で売っていた書き手は、ありがたみが減りましたね〜(笑)。


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【詩】「白猫黒猫」

「白猫黒猫」
 
落ちていく落ちていく──
ことばをおもいきり節約して
暗喩
直喩
優雅
などなくても
最高の詩が書ける
ということを
ダンテは教えてくれた
と、アリスは白猫に向かって言った。
そしてそれは黒猫でもあった。
 
Per correr miglior acqua alza le vele
omai la navicella delmio ingegno,
 
復活祭の日曜日
われらは煉獄に入った。
と、アリスは黒猫に向かって言った。
そしてそれは白猫でもあった。
 

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【詩】「星」

 

「星」
 
そらもう旅の終わりだ。星という字が見える。アリスはページを繰って、若き芭蕉
師である西行に連れられて
地球の反対側に出るのを見る。
暑くて眠くて
アリスはぼーっとなった。
これはこうふく。
これはようねんき。そして、
にんげんのはじまりでおわり。
 
e quindi uscimmo a riveder le stelle.
 
かくして地獄篇は終わる。
 

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『この時代に想う テロへの眼差し』(2002年2月、NTT出版刊、木幡和枝訳)──「今はもう誰もソンタグなど思い出さない」

『この時代に想う テロへの眼差し』(2002年2月、NTT出版刊、木幡和枝訳)──「今はもう誰もソンタグなど思い出さない」

 

演劇科の卒論は、「オフオフブロードウェイを支える思想」というタイトルのパフォーマンス論だったが、スーザン・ソンタグにだいぶ影響されていた。本書は、9.11事件の二日後から二週間後までの短い文章(メディアに応じて書いた)が5分の1ほどで、第一部をなし、残りの第二部以後は、9.11以前の記事である。つまり「上げ底みやげ」の本である。9.11事件に関しては、ブッシュ政権をいかに嫌悪するかを書いている。しかし、西洋対東洋の対立という「安っぽい」見方にも反対している。作家は、モラリストになったらおしまいだとも書いている。彼女の立ち位置、考え方には、あいかわらず同意できるが、「20年後」に読み返すと、情報が不足しているか、解釈が間違っているような感じがする。9.11との比較を、たびたび「真珠湾」と比較している。日本軍がしたとされる「奇襲」を、アメリカの情報部をつかんでいた、もしくは、「そう仕向けた」という見方がある。

 とはいうものの、その後の「テロとの戦い」と、「二十年後の犠牲者たちを悼むきれいごと」には、私も首をかしげる。果たして、テロという具体性を欠く概念と、戦うとは、いかなることか。乗っ取られた旅客機による攻撃で、2900人もの人が亡くなったが、この二十年間のテロとの戦いで、イラクアフガニスタンとの一般市民は、何十万人と死んでいる。

 かつてイラク大量破壊兵器の存在を疑われ、アメリカ軍が侵入したが、結局、破壊兵器はなかった。それを当時の国防長官だった、コリン・パウエル氏は、「人生最大の恥」とどこかで供述していた。共和党なれど、誠実な人柄だと思う。

 

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【詩】「驚異」

「驚異」
 
ポーは詩にとってなくてはならいものは
驚異だとした
と、エリオットは書いている。
神曲』「地獄篇」第26歌にはそれがあると。
それはいかなる驚異か。
オデュッセウスとディオメデスが
ひとつの炎のなかで焼かれている。
でかいマラ(男根)。
ゆるやかに流れていくその川はギリシア
と言いながら私は故郷の豊川(とよがわ)を思い出している。
詩人北川透氏の奥さまは
私の中学の先生であった。
灰色の眼の冷たい感じの美人。
どうしてわかったかと言えば、
担当の数学教師のおばさんに
豊橋に有名な詩人がいるんですよと
言ったら、「あら、I先生の旦那さんみたいね」
私は大学在学中であったが
卒論だけ提出して故郷に帰って
地方紙の記者を始めたところだった。
そのとき、この若造は、
詩の時評を書いていた。
北川氏に手紙を書くと、
投稿欄であなたのことは知っていました。
この地方の若者はぼくとの距離の取り方が
うまくないです、という内容の返事をもらった。
遠い、ちょうどオデュッセウス
川もゆっくりと通りかかっていくとき、
そんな記憶ともいえない妄想が
私の地獄行きにわき起こって、
ひとは個人情報に抵触している
というだろうか?
そうそれは、まぎれもない、
レオナルド(と当時は名前で呼んだとか)とダンテが
洗濯をしたアルノ川。
そして、この川のほとりのホテルに泊まったという
和辻哲郎のホテルの位置を考えながら
ホテルを取ったのだった。
 
Là dentro si martira
Ulisse e Diomede, e così insieme
alla vendetta vanno com'all'ira:
e dentro dalla lor fiamma si geme
l'agguato del cavai che fe'la porta
ond'usci de' Romani il gentil seme.
 
 

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【9.11二十年】

【9.11二十年】
 
 20年も経てば、あらゆる問題は変容する。FBIは大統領とは独立の機関であるらしく、今も、調査している。しかし、大統領直属の情報機関であるCIAの姿はどこにもない(2021/9/11のNHKのドキュメンタリーで)。
 映画としては、オサマ・ビンラーディン殺害までを描いた、『ゼロ・ダーク・サーティ』、犯人の側もしっかり描き込んだ、『ユナイテッド……』などを思い出すが、どちらも出色のできである。しかし……いま、時代は大きく変わり、アメリカが大量の武器をサウジアラビアに売って経済を成り立たせていて、そのサウジが、9.11を支援していたとなると、この「事件」の解釈は大きく変わらねばならない。どうも、大統領だけではどうにもならない何かが、この超大国を動かしているんだな〜……てな考えにいたった私である。
 写真は、事件後5年後くらいに訪れた、「グラウンド・ゼロ」、貿易センタービル跡地であるが、この時はまだ、なにも建設されてなくて、基礎工事の地面に雨水が溜まっていた。このフェンスに犠牲者の名前が書かれた看板が貼り付けられていた。
 しかし、科学的メカニズムから見ると、ビルが崩壊した原因は、飛行機激突の衝撃によるのではなく、ビルの構造体である鉄柱の温度が何百度にもなって溶けたことによるという。だから、多くは即死ではなく、家族に電話する時間があった。
 
 

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【オーデンの「新年の手紙」その一節を訳してみると……】

【オーデンの「新年の手紙」その一節を訳してみると……】

A New Year Greeting W.H.Auden

On this day tradition allots
    to taking stock of our lives,
my greetings to all of you, Yeasts,
  Bacteria, Viruses,
Aerobics and Anaerobics:
   A Very Happy New Year
to all for whom my ectoderm
  is as Middle-Earth to me.

 

「新年の手紙」(1969年1月)W.H.オーデン

 

この日伝統はわれわれ生命の
  在庫確認することにあてている、
きみたちみんなへのぼくのアイサツ、酵母菌くん、
 バクテリアくん、ウイルスくん、

好気性や嫌気性:
 謹賀新年

ぼくの外胚葉がぼくにとって地球の中心部としてある

すべての諸君に。

 

*****

上はオーデン「新年の手紙」の第一節、一方、田村隆一の「新年の手紙」は、

 

「新年の手紙(その一)」田村隆一

きみに
悪が想像できるなら善なる心の持主だ
悪には悪を想像する力がない
悪は巨大な「数」にすぎない

材木座光明寺の除夜の鐘をきいてから
海岸に出てみたまえ すばらしい干潮!
沖にむかってどこまでも歩いて行くのだ そして
ひたすら少数の者たちのために手紙を書くがいい

 

****

 

「新年の手紙(その二)」

元気ですか
毎年いつも君から「新年の手紙」をもらうので
こんどはぼくが出します
君の「新年の手紙」はW・H・オーデンの長詩の断片を
ガリ版刷にしたもので
いつも愉しい オーデンといえば
「一九三九年九月一日」という詩がぼくは大好きで
エピローグはこうですね  
 『夜のもとで、防禦もなく
 ぼくらの世界は昏睡して横たわっている。
 だが、光のアイロニックな点は
 至るところに散在して、
 「正しきものら」がそのメッセージをかわすところを
 照しだすのだ。
 彼らとおなじくエロスと灰から成っているぼく、
 おなじ否定と絶望に
 悩まされているこのぼくにできることなら、
 見せてあげたいものだ、
 ある肯定の炎を。』

 

****

 

なんだ、これ? ですよね。オーデンの詩は、即物的でリアルとのふれあいだけど、田村隆一は、まったくアタマでのみ書いて、しかも本心すら出していない。時代とおのれの切り結びが詩の本質なので、この詩は、なんだこれ?になるわけです。とくに時代が経ってしまえば。とくに「その一」はひどい。「その二」がましに見えるのは、オーデンの詩の誰かが訳した訳が大幅に引用されているからです。

田村隆一の詩は、以下のサイトで読めます。

http://web1.kcn.jp/tkia/trp/index.html

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