現象の奥へ

【エッセイ】「記憶をたどれば……」

「記憶をたどれば……」

 
最近、今後の世界に関して新しい見方を提案している若い著者を見かけるので、そのなかの一人、落合陽一の著書を買ってみたのだが、いちばん新しいのはろくに開きもせずに、ブックオフ・オンラインに売ってしまって(笑、まー、読む意欲がなくなったのだが(笑))、何年か前の本が新書になり、「コロナ時代」の視点から書き直したとあったので、『働き方5.0』を買い、昨日感想を書いたのだが、それに関してメールをくださったブログ読者の方がいて、その情報から、落合陽一氏は、落合信彦氏の子息であることを知った。

 落合信彦、その名前には覚えがあるが、はて、なにをしていた人だったか? かつて、頻繁に活字世界で見かけたような気がするが。ジャーナリスト? 写真家? wikipediaを見ると、「ノンフィクションノベル」の人だとわかった。現在78歳。その人のご子息が、落合陽一氏で、32歳。ついクセで、その年齢の引き算をしてしまう(笑)。46歳の時の子か。

 メールをくださった方は、同時に、「村井純」なる名前も書かれていた。この三人がどういう関係にあるのかは、よくわからないが、村井純なる名前も、ちょっと前によく見かけた名前である。しかし、「落合信彦」と同じように、今はあまり見かけない。これもwikipediaで調べると、「インターネットの父と言われる」で、記憶がさーっと蘇ってきた。30年前の記憶である(笑)。そう、あのときは、日本における、インターネットの草創期で、よく「村井純」と書かれた印刷物を見かけたものだ。

 しかし、「インターネットの父」などという表現はかなり大雑把な誤解されやすい表現である。インターネットは、もともとはアメリカの軍事利用あるいは研究用から始まって、軍事利用の、アルパネットが起源とされていて、その歴史はさまざまな本、雑誌に書かれていたので、誰でも知っているものだった。それが30年も経つと、すべてが霧に巻かれたようになり、わりと早いうちにインターネットを使っていた私の記憶も、曖昧模糊としてきた。そう、そうだった──。しかし、記憶だけに頼っていえば、村井純氏も、テクノロジーの面でいろいろ活躍されたのかもしれないし、落合信彦氏のノンフィクション(ノベル)も、当時としては、「ホット」だったかもしれない。村井氏の場合は、今もユーチューブで、「ご活躍」が見られるが、再生回数は数百である。ちなみに、ユーチューバー芸人と言われる人たちの再生回数は、数十万。時代はこのように変わっていった。さて、今後どうなるか? また三十年経てば、これらの方々が歴史に残るということは考えられなくて、さらに忘れられ、現役のご子息も、60代になり、その時代に、「メディアアーティスト」」なる、今もよくわからない「職業」が、定着しているかどうか。は、わからないですね(笑)。