現象の奥へ

『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』──沈黙と測りあう音を探して(★★★★★)

『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』(マウロ・リマ監督、 2017年、原題『JOAO, O MAESTRO』)

 画家の梅原龍三郎と一年、鎌倉の旅館で生活をともにした小林秀雄は、「一流の芸術家には、徹底したものがある」と、講演のCDで言っているのを何度も聞いたが、その言葉を思い出させてくれるのが本作である。チラシには、不屈のピアニストとあり、指が手が使えなくなっても、復帰を何度も(!)繰り返す。ただ、これだけでは、私は本作は観なかったと思うが、Facebookに流れてきた予告編で観たい欲望に駆られた。そこに「徹底したもの」を見たのである。眼鏡の少年が、「タッタッタ……」と、口でリズムを素早く刻んでいる。それは執拗に続く。それはバッハの作品のひとつであるが、彼はバッハの全作品を暗譜している。それだけでも、鳥肌ものであるが、さらに、驚くのは、カーネギーホールに招待されて、難曲の練習時間が足りない……そのときになって初めて、師が「これまでは使わなかったが、しかたないこれを使おう」といって、タイマーが仕込まれたメトロノームを出す。
 若い時から天才として注目されたブラジルの少年が、音楽家として頂点に上ろうとするとき、ちょっとした事故にあって指を痛める。それがピアニストにとっては致命的で、さらに、試練にさらされる。大変な努力で試練を乗り越えたに見えたが、また障害に襲われる。気づけば、ピアニストは白髪の初老になっているが、彼はあきらめず、音楽を目指す。音楽──。この言葉がミソである。相変わらずバッハはあきらめない。技術的にピアノが弾けないならと、なんと、指揮者に変身するのである。つまりは、指揮者としてのキャリアの方が深くなる。まさに、天が与えた障害とも言える。それがなかったら、彼は、「天才ピアニスト」にすぎなかった。もちろん、それだけでも大変なものだが。早くからついた師には、音符と音符の間を読んで、自分自身のバッハを想像しろと教えられる。真の意味での創造、つまり空間のなかに音を形成し世界を作り出すことを知る音楽家となる──そういう映画だった。本編に流れる曲は全曲、バッハ全曲録音を達成した、本作で語られるピアニスト、ジョアン・カルロスマルティンスその人の演奏が使われている。