「天国へ」
記憶とは、脳細胞のある箇所になんらかの方法で記されているのだろうが、ふわふわ浮遊して、濃くなったり薄くなったり、
消えてなくなったかと思えば、
目の前にくっきりと現れたりする。
それは、あるいは時間と関係あるものなのかもしれない。
九十歳になる母を、六十年ぶりかで、のり子が訪ねてきたという。
しかし、六十年ぶりということはないだろう。五十年ぶりくらいか。
最初はのり子ひとりで、母は病院へ定期検診に弟が連れていっていたので留守で、隣に土産物を預けていったという。
次に、のり子は末の妹のかー子といっしょに来たという。
なんの用事?
うえにはあげず、玄関で話したという。
電話で、来るといってきたとき、コロナだから
マスクをしてきてね、と母は言ったという。
次は、真ん中の姉妹の、○○○もいっしょに来るという。
いったいなんの用事なんだ? 懐かしくて、と姉妹は言ったという。
母は不安になっている。のり子たちは、
その母親が、私の母と姉妹の、つまりは、
従姉妹にあたる。
のり子は長女で、その上に、兄がいて、四人兄弟という。
私も、昔は、会ったことがある。
三河一宮の、砥鹿神社のお祭りのとき、
父が撮った写真に、それぞれ写っていた、
ような気がするので、私の脳裏に記憶がある。しかし母は、
昔ののり子の顔を思い出せないという。
やってきたのり子は、八十すぎの婆さんである。
あんな顔だったか? と母は思ったと言う。
三姉妹の真ん中の○○○と記した女子の、
名前を私はど忘れした。
その真ん中の女子だけ、顔が思い出せない。
のり子と、かー子は不和だったと記憶している。
その母、私の祖母の妹の、まきえが首つり自殺をして、
その遺産の分け前をめぐって争ったからだ。
「少ないほどもめる」という本もあった。
それもこれも、すでに何十年も前のハナシである。
のり子姉妹は、どうして母を訪ねたのか?
まさか、選挙が近いんで、○○党の××さんよろしく、
なのだろうか?
いずれしろ、母が忘れているのり子の顔を、
私はわりあいくっきりと思い出す。
むろん、若き日ののり子であるが、
頬骨の張った、そばかすの浮いた顔。
その顔を、私はメモ帳に描いてみたが、
全然再現できなかった。
記憶というのは、まったく「ない」状態ではどうにもならないが、
こうして、たゆたって、
意味もなく、
流れていく。
死んだら、ひとの意識はどうなるか?
もしかしたら、
AIにも、
意識は宿るかもしれない。
人間の意識が、
無から生まれたのだから。
死んでも意識は
残って、浮遊する。
それを教えてくれたのは、
ベルクソンではなく、
ダンテ。