「吉田健一の、その作品を愛してなければ翻訳などできない、という言葉を読んで」
たとえばオルセー美術館のような広くてりっぱな芸術空間に、
いかにも高そうな額縁の絵があれば、
絵はたとえ、子どもが描きなぐったような類いでも、
りっぱな傑作に見えるかもしれない。
それと同じように、へのへのもへじが書かれていても、
装丁がりっぱなら、意味のある詩集に見える、かもしれない──?
それで浮かれている詩人を見かける。
草野心平のガリ版刷りの詩集が、昔は高値で古本屋に出ていたそうだが。
いまとなっては、つまり、コロナ禍と、ロシア禍の世の中になってみれば、
そういうアタマの人間も、金さえあれば、りっぱな詩人のふりができるのだろう。
そういうことは、詩を愛するということとは、いっさい
関係がない、ということは、
肝に銘じておくべきだね、
なんて誰に向かって言ってるのか(笑)?