現象の奥へ

【昔のレビューをもう一度】『ベロニカとの記憶 』──インドの監督が撮る、イギリスの光と陰(★★★★★)

ベロニカとの記憶 』(リテーシュ・バトラ監督、2017年、原題『THE SENSE OF AN ENDING』
2018年2月8日 11時36分

学生時代に対して、とくにノスタルジックな思い出を抱いているわけではない、老いた男に、ある日突然、法的な手紙が来て、昔同窓生だった女の母親が彼に遺品を残したという。男は、その同窓生を知っているし、昔、ちょっとつきあった女だったし、彼女の家へも、ボーイフレンドとして招待されたことがあったので、当然その母と会ったこともあって、その母が、彼になにかを遺したというのだ。はて? 男は遠い記憶を探る──。

 ジュリアン・バーンズの小説の冒頭はそのイメージからはじまる。そのうちのひとつに、シンクに投げ入れられた熱したフライパンがある。卵焼きができあがる寸前のフライパンが、突然水を張ったシンクに投げ入れられ、「ジュッ」という音をたてる。ささいな記憶。それは──。彼女の母親が、彼女のボーイフレンドの朝食を作ってくれていて、卵を焼いていたのだが、「あ、失敗した!」といってフライパンごと水に突っ込んだ。大したことではないが、奇異なことである。普通、人はそんなふうにはしない。それで、記憶のどこかに残っていた。エキセントリックな母親だった。まだ若く美しかった──。その母親が遺したものは、男の友人の日記だった。その友人は自殺した。それは──。男から奪った彼女が、妊娠したからだと思っていた。男は、二人の仲を嫉妬し、「二人の子どもは呪われろ!」と手紙を書いた矢先だった。そんな手紙こそ、若者なら誰でも書く。男はごく普通の男だった。しかし、接した人々は、多少クセのある人々だ。それが、彼の記憶を形成する──。

 男は元カノの母の遺品である、友人の日記(どうして、そんなものを元カノの母が持っていたのだ?)を不審に思いながら、入手する手続きを取ろうとするが、その日記は、すでに、元カノが横取りし、処分してしまっていた──。なんで? 男はその元カノに会う。あいかわらず、ミステリアスで冷たい。その、老いたベロニカを、シャーロット・ランプリングが演じ、まさに適役である。
 観客が想像するような関係には至らなかった二人である。「ベロニカの記憶」ではなく、「ベロニカとの記憶」。男は偶然、自殺した友人にそっくりの若い男を見かける。名前も同じエイドリアンだとわかる。なにより背が高かった、それも受け継いでいる。知的障害があるので、集団で面倒をみられていた。そこにはベロニカもいたので、てっきり、それはベロニカと友人との子どもだと思った。だが、実際は違っていた──。それは、友人の日記を所有していた人が産んだのだった。ベロニカは母親ではなく、姉だった──。

 英国詩に特有なキーワード、sadとsweetを、かつて植民地であった国、インドの監督が描く。的確であり、詩である。