ドストエフスキーの「永遠の良人」
「一は二十年の漁色生活による、他は二十年の結婚生活による、数々の苦痛が念入りに育て上げた、爛熟した人間の心の平常な姿だ。一歩進めてと言ってもいゝ。人間四十年もこの世に暮らして、この程度の心の無気味さ持てなければ、彼は馬鹿だ。訝る方こそ未熟なのだ。未熟でなければ感傷的なのである。」(小林秀雄の評論「永遠の良人」)
二人の中年男が出会う。一人は女の夫、一人はその女の愛人。
もうじき四十になる──
二〇二四年であれば、まだ青年である。
この世界は、ドストエフスキーの描く、
苦悩をあっさりと放棄して、
六十の芸人の性癖がどうの、
強姦があったかどうか、
という話題に連日終始している。
国家が金をちょろまかしている、かどうか、よりも。
元日に起こった巨大地震の被災者に向けて、
「まー、たいへんですねー」
と通り一遍の心配顔、同情顔を見せておいて、
でたらめな料理に食いつき、
「おいしー!」の連発。
それで金がもらえるのである。
巨大地震など南米では頻繁に起こっている。
そんなこと考えもしない日本国民である。ましてや、
今は憎まれ役者のプーチンの国の二百年前の作家が
書いた世界など想像もつかない。
松本なら松本でもよい。
ドストエフスキーに描かせよ。
少なくとも、数百ページの小説になるだろう。
性欲、権力欲、それがどこから生まれてくるのか──善悪を超えた時間が、
そう、あんたの書いているペラい観念詩を、
哄笑の渦に巻き込み吹き飛ばすだろう。